中目が泥まみれになりながら伊達の屋敷を回り、
石母田の陰ながらの尽力もあって、ついに歴史が動く時が来た。
天文5年(1536年)6月。 伊達家当主・伊達稙宗から、
ついに「大崎義直を我が御前に呼べ」という正式な指示が下されたのだ。
これまで、伊達領内は反乱軍の息がかかった者も多く、
実質的な「敵領内」であったため、命の危険がある義直は宿営地に隠れ、
中目だけが外に出てすべての交渉と嫌がらせを引き受けてきた。
伊達の重臣たちは皆、「あの泥臭い中目の主君なのだから、
さぞかし惨めで、怯えきった落ち武者だろう」と高を括り、
嘲笑する準備をしていた。
謁見の日。 伊達家の豪奢な大広間には、稙宗をはじめ、
中目を散々道化として笑いものにしてきた重臣たちがズラリと並んでいた。
中目は、主君がここで恥をかかされはしないかと、冷や汗を流しながら控えていた。
しかし――。
静かに襖が開き、大広間に姿を現した大崎義直を見た瞬間、
伊達の家臣たちは一斉に息を呑んだ。
そこにいたのは、クズ米を食べて笑っていた泥臭い男ではなかった。
背筋を真っ直ぐに伸ばし、
衣服こそ質素だが、その一挙手一投足には、
室町幕府より東北の支配を任された名門「奥州探題」としての
圧倒的な気品と威厳が満ち溢れていたのである。
義直は、上座の伊達稙宗を見据え、深く、そして美しく礼をした。
その発声、言葉遣い、教養に裏打ちされた完璧な挨拶。
そして、「なぜ今、伊達が大崎に兵を出すことが、
伊達家自身の未来の利益に繋がるのか」を説くその交渉術は、
理路整然としており、一切の隙がなかった。
伊達の重臣たちは、嘲笑するどころか、
その見事な大名としての振る舞いに圧倒され、
一言も発することができなかった。
中目は、広間の隅で震えていた。
(……殿。あなたは、やはり我らの誇り高き主君だ)
いつも自分たちにだけ見せていた、あの優しくて情けない
「義直」の顔は、過酷な逃亡生活を家臣と共に耐え抜くための、
この人の優しさだったのだ。いざという時、
この人は誰よりも大崎を背負って立つ器を持っていたのだと、
中目はとめどなく溢れる涙を必死に堪えた。
伊達稙宗もまた、扇子を閉じ、感嘆の息を漏らした。
「……見事な御仁よ。さすがは奥州探題、大崎の血脈よな」
義直のこの完璧な交渉により、伊達・最上の連合軍5,000の出兵が即座に決定した。
しかし、稙宗はただ感動して兵を出すような甘い男ではない。
義直の「奥州探題としての価値」を完璧に理解したからこそ、
最も冷酷な条件を突きつけた。
「我が息子・小僧丸を大崎の養子とし、次期当主に据えること。それが援軍の条件だ」
大崎の血を乗っ取るという死の宣告。
義直は一瞬、背後の中目を見た。中目は強く頷いた。
(殿、大崎の地さえ取り戻せば、あとは私が必ず何とかします。どうか、ここはご決断を) 義直は再び稙宗に向き直り、静かに、
そして力強く頭を下げた。大崎の地を奪還するための、
5,000の大軍が動いた瞬間であった。
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