大崎領内へ侵入した伊達軍の足元は、開戦前から大きく揺らいでいた。 伊達政宗から「大崎を討て」と命じられた宿老・泉田重光(いずみだしげみつ)と、一門衆の留守政景(るすまさかげ)。この両大将は、家臣の相続問題を巡る私生活での確執から、以前より激しく対立していたのである。政宗の名代(陣代)として全体を総括する重臣・浜田景隆(はまだかげたか)や、軍奉行として作戦を監修する小山田筑前(おやまだちくぜん)が調停を試みるも、出陣前の軍議は作戦を巡る大喧嘩へと発展した。
「一気に敵の本拠地・中新田城を叩き潰すべきだ!」 先陣を切りたい猛将・泉田が激昂すれば、留守は慎重に遮る。 「いや、手前にある師山城を堅実に落とすべきだ」
結局、方針がまとまらぬまま、「泉田が先陣として中新田へ突撃し、留守が後陣として師山城を牽制する」という、連携の欠片もないバラバラの進軍がスタートしてしまった。
さらに伊達軍の狂いは続く。本来なら黒川領を通過する容易なルートを選ぶはずだったが、黒川晴氏が大崎方に寝返ったため、その領地を刺激せぬよう「南東側から大きく迂回して大崎領の深くまで進む」という、過酷な泥沼の遠回りを余儀なくされたのである。
そうして別動隊を引き連れ、手前の師山城へと向かった留守政景だったが、そこはすでに「大崎最強の猛者たちの城」と化していた。古川弾正のもとへ、同じく大崎屈指の猛者・百々左京(どどさきょう)が合流していたのだ。 「奥州渋谷の誇り、伊達の小倅どもに見せてくれん!」 留守の軍勢が猛烈に攻め立てるも、一騎当千の猛者たちが立ち塞がる師山城は微動だにせず、伊達軍は一歩も敷居をまたぐことすらできなかった。
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